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京都大学戦争遺跡研究会(2015-2016)

 戦争遺跡研究会は、主に戦争の記憶を後世に継承するための活動に取り組んでいます。活動内容は、戦争体験者からの聞き取りに加え、所謂「戦争遺跡」と呼ばれる明治~昭和までの戦争に関する遺構の調査研究などを行っています。 当サイトでは研究会の活動で収集した資料の一部を公開しています。調査能力や専門知識に乏しいため、掲載している情報について事実誤認等があるかと思いますが、誤りを発見した際にはご指摘していただければ幸いです。それから、掲載している遺構の写真や体験者の証言は許可を得て掲載しているものですので、無断転載はご遠慮ください。 御用のある方はyukio0118(アットマーク)gmail.comに連絡下さい。 twitter @senseki3 2017年以降の活動はコチラ→ http://senseki.kyotolog.net/

小松海軍航空基地

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小松海軍航空基地

石川県小松市には海軍神雷部隊の基地がありました。

さすがに大企業小松製作所の御膝元だけあって、立派な駅舎と広い駅前広場が整備されています。小松製作所は世界的な重機メーカーですが、戦時中には一万人以上の工員を擁する第一次指定軍需工場として軍需物資を製造していました。

▼当時の小松飛行場(昭和18年頃)


滑走路が十字型になっています。レシプロ機は横風に弱いので、風向きによって二つの滑走路を使い分けました。

▼昭和18年頃の小松市(小松市史より)



▼駅舎。外国人が多い。夜にはブラジル人のたまり場になる。


生憎の雨模様でしたが、駅前の観光案内所で自転車を借りて散策に行きます。
18時まで300円で借りられます。詳細:小松市レンタサイクル事業

▼小松空港に残る掩体壕(後述)


基地隊施設が立ち並んでいた場所はほとんど田んぼか宅地になっています。唯一、破損した発電室のみが残っています。

▼発電室
 

▼物置として使用されています。


▼地元の方の話ではショベルカーで撤去しようとしたところ、あまりに頑丈だった為壊せず、放置されたそうです。
    

▼当時の人の足跡でしょうか。
    

ここから小松航空の方に向かいます。滑走路周辺には掩体壕が点在しています。

▼一番分かりやすい掩体壕
   

▼森の中にある掩体壕


▼倉庫跡か。煉瓦造りのモルタル仕上げです。
   

今回、元神雷部隊の方にお話しを伺うことができました。まとまり次第公開します。

▼勧進帳で有名な安宅海岸です。


 安宅の関から松林に入っていくと、至る所に松根油採取の痕が残っています。



▼松脂を採取した痕
 

 

このような景勝地にも戦争の痕跡がみられます。訪れた観光客が「何これ~」と不思議がっていましたが、これは知ってる人にしか分からないでしょう。
せめて説明板ぐらいほしいところですが...

▼住吉神社内にある看板。こんな所でもポケモンゴやってるアホがいるのか。

こちらの安宅住吉神社は、義経が関所を上手く通り抜けたことから「難関突破」に縁があるとされ、受験生などがよくお参りに来ています。神社の方の話では、戦時中、出撃を控えた特攻隊の方々も敵艦突入を祈願してお参りに来られたそうです。おそらく神雷部隊の方々も出陣前に来られたのではないかと思います。

戦跡とは関係ありませんが、是非紹介したい定食屋さんがこちらです。

▼みなとや食堂


こちらの「みなとや食堂」は年中無休の24時間営業です。元々は駅前にありましたが、再開発で西町の方へ移ってきました。店主の話では、小松の町に活気を与えたいという動機で24時間営業を始められたそうです。安くて旨い昔ながらの食堂です。小松に来られたらぜひどうぞ。
http://tabelog.com/ishikawa/A1702/A170202/17004401/

参照文献
・新修小松市史編集委員会(編)『新修小松市史』石川県小松市、二〇〇六年。
・加藤 浩  (著)『神雷部隊始末記』学習研究社、二〇〇九年。

今回はこちらのWEBサイトも参考にさせて頂きました。どもありがとうございました。
小松だよ!全員集合!! http://repobitanw.web.fc2.com/

ご協力いただきました皆さまどうもありがとうございました。





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