滋賀県近江市八日市にはかつて飛行場がありました。

まずは忠魂碑にお参りし探索開始。
八日市を一望できる太郎坊山に登ります。


日本初の民間飛行場を偲ぶ複葉機のプロペラ
「軍馬の像」

戦時中に金属不足で供出されましたが、戦後再建されました。
トーチカみたいな便所が
銃眼まで空いている
山頂までの道中にあったベトンの構造物

トーチカではないか・・・
冲原神社
移築された当時の飛行隊門柱
多くの掩体が残る布引丘陵

確かに飛行機を隠すのには最適な地形です。
掩体壕1

有蓋掩体壕です
崩れています
有蓋掩体壕2
池を左手に見ながら高架を越えると、二つ目の掩体壕があります。
前方部分は崩れてありません。
無蓋掩体壕だと思われます。このような盛土が各所に。
畑酒造

八日市で昔から造り酒屋をされている畑酒造さんです。
この日は丁度「19歳の酒」という田植え祭りを催しておられました。
畑酒造さんには探索に際して、当時の貴重な証言など多大なるご協力を頂きました。
どうもありがとうございました。
畑酒造さんのブログです。
http://blog.goo.ne.jp/20150304

現大凧会館は陸軍士官の宿舎がありました。「陸」の標柱
飛行場の遺構はほとんど残っていませんが、掩体壕などは地元の保存会が保存活動を行っているようです。飛行場のエプロン跡が残っているようですが、今回ははっけんできませんでした。
このような戦争遺跡はまだ全国各地に残っています。しかしながら、当時を偲ぶ遺構は時間の経過や開発によって益々その数を減らしているのです。語り部である体験者や当事者が歴史を語り得なくなった時、そのバトンを受け取るのはこれら戦争に関する遺跡しかありません。従って、自身の内に戦争という体験を呼び起こす戦跡の役割はこれから愈々重要なものとなる筈です。早急なる遺構の調査研究に加え、当時を知る人たちから証言や体験を集めることもまた急がねばなりません。
※掩体壕のある竹林は私有地です。加えて遺構の状態も劣化が進んでおり大変危険です。絶対に立ち入らないでください。