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京都大学戦争遺跡研究会(2015-2016)

 戦争遺跡研究会は、主に戦争の記憶を後世に継承するための活動に取り組んでいます。活動内容は、戦争体験者からの聞き取りに加え、所謂「戦争遺跡」と呼ばれる明治~昭和までの戦争に関する遺構の調査研究などを行っています。 当サイトでは研究会の活動で収集した資料の一部を公開しています。調査能力や専門知識に乏しいため、掲載している情報について事実誤認等があるかと思いますが、誤りを発見した際にはご指摘していただければ幸いです。それから、掲載している遺構の写真や体験者の証言は許可を得て掲載しているものですので、無断転載はご遠慮ください。 御用のある方はyukio0118(アットマーク)gmail.comに連絡下さい。 twitter @senseki3 2017年以降の活動はコチラ→ http://senseki.kyotolog.net/

倉梯山防空砲台

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倉梯山防空砲台

舞鶴市の倉梯山(くらはしやま)には戦時中、防空砲台が築かれました。ここには舞鶴海軍警備隊の防空指揮所が存在しました。昭和十八年十月三十一日時点では、ここには三十二名の兵力が置かれていました。



 東舞鶴駅から歩くこと一時間。時刻は十五時半頃、山の麓にたどり着きました。道の脇の田んぼでもみ殻を燃やしていた農夫がいたので登山道はどこかと尋ねると、「あんた熊が出るで、気い着けな。」と言われ、めっちゃビビる。
 「まあ、行きたいなら歌を唄ったり、棒で木を叩きながら登るといいわ。登り口は高架に沿いに車が一台ぐらい通れる脇道があるからすぐわかるで。山頂まで道があるから一時間もかからん。」と、教えていただく。礼を言って山を登っていくと、登山口はすぐに見つかりました。確かに舗装された道があり、そこを登っていきます。

▼道?


すぐに道は寸断され、ずっとこんな感じです。なかなか進めません。

▼この道はかつての運弾道路の名残です。


▼「海界」標柱


▼標柱の右隣にある掘り込み


▼歩哨小屋などが立っていたのでしょうか。


▼ガードレール


▼両側に岩の聳える切通しを抜ける。ここいらは通りやすい道。


これを少し越えたところで、「ガサガサッ」と音を立てて、猪が崖下の方に走って行きました。ここいらにちょうど獣道があるようです。猪も危ないので注意が必要です。

▼ここでひとつめの遺構


この建物の入り口から下に降りていくと、電気室らしきものがあります。
▼この道を降りていく


▼すごい存在感


▼/ ̄\
  / ■ \


▼発電機が置かれていたのでしょうか。


▼陶製の管
  

さらに登っていくと、開けた場所に出ますが、そこが恐らく防空指揮所だと思います。

▼苔の生えた石段を上ると


更に上ると

▼ここにも遺構があります。


▼なんか隅に黒いものが


▼蝙蝠さんでした。起こしてごめん。


▼そこからさらに行くと、棲息部の遺構があります。


しかし時刻が既に十七時を回ってしまいました。夜は熊がでるので、ここいらで退散します。




探索をされる際は熊や猪にお気を付け下さい。
一人で行くと結構怖いです。

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三太郎
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