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京都大学戦争遺跡研究会(2015-2016)

 戦争遺跡研究会は、主に戦争の記憶を後世に継承するための活動に取り組んでいます。活動内容は、戦争体験者からの聞き取りに加え、所謂「戦争遺跡」と呼ばれる明治~昭和までの戦争に関する遺構の調査研究などを行っています。 当サイトでは研究会の活動で収集した資料の一部を公開しています。調査能力や専門知識に乏しいため、掲載している情報について事実誤認等があるかと思いますが、誤りを発見した際にはご指摘していただければ幸いです。それから、掲載している遺構の写真や体験者の証言は許可を得て掲載しているものですので、無断転載はご遠慮ください。 御用のある方はyukio0118(アットマーク)gmail.comに連絡下さい。 twitter @senseki3 2017年以降の活動はコチラ→ http://senseki.kyotolog.net/

指宿海軍航空基地

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指宿海軍航空基地

鹿児島県指宿市東方には海軍航空隊の基地がありました。

▼本州最南端に位置する開聞岳。沖縄に出撃する大勢の特攻隊員を見送ってきました。


基地跡地は現在、休暇村指宿と指宿エコキャンプ場になっています

指宿基地平面図「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011435800、昭和20年10月 鹿児島地区(出水、人吉、富高、鹿屋を含む)引渡目録 佐世保地方復員局 (①-引渡目録-502)(防衛省防衛研究所)」

6月25日の空襲によって、地上施設はほとんど焼き尽くされてしまいました。
▼かつて鉄工所のあった箇所から望む魚ノ目嶽の威容。山裾には壕や貯水槽が残っています。


▼地林ヶ島。岬から砂州が続く。まさに「鹿児島の天橋立」


▼スロープの一部とおぼしきコンクリ片。至る所に散乱している。


▼スロープの一部か。
 
▼水上機の残骸とされる金属片。干潮時でなければ近づけない。

毎日新聞で紹介されていました。
http://mainichi.jp/articles/20160827/k00/00e/040/248000c

▼スロープだった箇所は現在整備されて階段になっている。


▼これもスロープに使われていたものだろうか。
 

▼舟艇桟橋跡の木杭が残る。
 

▼慰霊公園の防空壕


▼向こう側まで貫通している。
    

▼指宿海軍航空隊基地哀惜の碑
 

▼水上機のプロペラ

 




殉難者の碑を前に、南海の空に散華した無数の犠牲に思いを馳せる時、今の日本の社会的惨状を顧みて後ろ暗い気持ちになります。三百万余の死という警醒を我々は無為にしようというのでしょうか。
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