岡山県真庭市は、観光地である蒜山高原で有名です。しかし戦前からこの地は「蒜山原演習場」として銃砲弾の飛び交う火の山でした。
演習場のあった真庭郡八束村並びに川上村(現・真庭市)へのアクセスは、久世駅前から真庭市バス「まにわくん」を使います(どこまで乗っても200円!)。
久世駅の傍にある旧遷喬尋常小学校校舎です。美術館のような豪奢な構えです。
この校舎は、地元有志の尽力によって保存されることになりました。「三丁目の夕日」などの映画の撮影にも利用されています。
この学校も、戦時中には金属製の窓枠や雨どいなどが金属供出の憂き目にあっています。
「まにわくん」で1時間半、目的地の蒜山郷土博物館に向かいます。
日本ではあまり見ない、なだらかな丘陵がつづきます。大陸の地形に近いようです。
蒜山郷土博物館では、企画展「受け継ぐ人はいるか? 蒜山・真庭のみた戦争」展が開催されています。http://www.city.maniwa.lg.jp/webapps/www/section/detail_2.jsp?id=2666
館長である前原氏から、展示解説も交えながら最新の研究成果などを教えて頂きました。氏のご専門は中世史ですが、証言の収集、当時の資料の分析などの研究活動においては、氏の歴史研究の高い技術がこの研究でも生かされています。そのため非常に充実した展示となっております。
ここでは野砲や軍馬の装具、不発弾、標柱、人型標的など様々な実物の展示品に加え、蒜山・真庭の住民や兵士の証言を公開しています。最近の研究で判明した新事実など、人の「ことば」から再構成された蒜山・真庭の戦争展示は、先の大戦が「人間」の戦争であったという事実を伝えてくれます。
戦死者の遺書や当時の新聞に添えられたテクストは、単なるキャプションではなく、それ自体で展示品としての性格を持っていると言えます。「ことば」を手掛かりとすることで、戦争という「人間」の問題を、ひいては「自己」の問題として考えることができるようになるでしょう。展示内容をぜひ現地にてご覧になることをお勧めします。
▼人型標的
▼軍馬用の馬具
次に向かうのは、演習場の兵舎が並んでいた現蒜山高校です。
▼門柱らしきもの左右に一対ずつ残る
こちらの構造物は石を積み重ねてコンクリで固めた門柱だと思われます。学校の用務員の方に教えて頂きました。終業前にも関わらず、わざわざ案内していただきました。ありがとうございました。
▼もう一対の門柱あと?
▼金属部分が残っています。
▼校舎の敷地に残る兵営時代の用具庫
▼兵営時代の門柱
用具庫の近くに厩舎建築を記念した碑が残っています。
この反対側に元厩舎という建物がありますが、今も民家としてして利用されています。
蒜山は今でこそ爽やかな高原とジャージー牛の観光地として有名ですが、戦争期には毒ガス訓練や戦車への体当たり訓練、さらには訓練中の事故死や自殺など、それらの暗い過去を乗り越えてきたということも忘れてはならないでしょう。