本州最西端に位置する下関には関門海峡を防衛する下関要塞がありました。
当時の遺構はほとんどが破壊されてしまいましたが、現存するものを一部紹介したいと思います。
関門海峡を横断する関門橋のほど近くに一際高く聳えたつ山があります。この山は火の山と呼ばれ、今でこそ観光名所となっていますが、かつては下関要塞の中核を成す堡塁や砲台が築かれていました。
下関駅のレンタカーで自転車を借りました。
▼明治~昭和期に砲台が据えられた火の山
片道300円のロープウェイを使い山頂まで行けます。
▼ロープウェイ乗り場から展望台までの道のりにある弾薬庫
▼同じく第三号砲台砲側弾薬庫
▼弾薬庫を上がったところにある遺構。
▼砲座とおぼしき煉瓦造りの構造物の一部
▼車回しに置かれた戦艦大和の主砲弾
▼第三砲台弾薬庫。以前は中で休憩できたようだが塞がれていた。
▼上部には補強用の金網の痕が
▼堡塁式の砲台
階段左の斜面には地下通路があったが、塞がれている。
▼観測所跡
▼棲息部と弾薬庫
▼第四砲台弾薬庫
▼棲息部。
▼昭和期に設けられた高射砲台の弾薬庫
▼砲座。
▼高射砲台全景
▼観測室
▼堡塁の観測室
▼砲座
▼火の山山頂からの眺め
海峡を挟んで小倉、右手に彦島が見えます。左が瀬戸内海、右が日本海です。
▼下山途中に見つけた構造物。トーチカかと思ったが、銃眼がないので只の貯水槽か。
▼長州砲。お金を入れると・・・
明治期における下関の要塞化は、幕末の四か国連合による下関砲台占拠事件が関係しているのです。
次に、数珠山にあった砲台を目指します。
近くに住む方の話では、この山の山頂付近はかつて公園にようになっており、子供の頃によく遊んでいたそうです。地元では「砲台山」と呼称されていたようです。親切にも案内して頂きました。ありがとうございました。
▼地図上部の山地に砲座と弾薬庫、並びに観測所が残っています。
国道191号線から左に逸れ、白い土塀のある坂道を登っていくと
「防」標柱があります。
更にそこから住宅街を抜けていくと、森に覆われた山頂付近に到達します。
▼山道が続きます。
▼山道から少し上ると、竹林の中にコの字型のコンクリ構造物があります。
弾薬置き場でしょうか。
▼尾根伝いに進んでいきます。
▼砲座がみつかりました。
▼砲座のすぐそばにある弾薬庫(?)です。
用途不明の上部構造物
▼通気口
▼内部に入るとすぐ右側に地下通路があるのですが、半ズボンだったので侵入は断念しました。
あと蚊がすごいです。合計3つの砲座と観測所があるのですが、予想以上の藪でこれ以上は断念。夏場に遺構探索するものではありません。
数珠山砲台の北東に金比羅山という山があるのですが、そこも明治期には砲台が据えられていました。
<<T氏の証言>>大正12年生まれ
昭和七、八年頃だったか、百人以上の兵隊が金比羅山の砲台に据える砲身を引っ張って山頂へ運んでいた。暑い中、詰襟の軍服を着て帽子を被っていた。現在の梅光女学園辺りからロープで引っ張っていたと思う。ずっと坂を上って筋川から金比羅山へ運んでいた。平射砲が二門据えられており、山の上には兵舎も建っていた。雨が降らない時など、雨乞いのために大砲を打ち上げていた(!?)。渋川付近にもトーチカがあり、終戦後はよくそこで遊んだ。渋川のバス停から海沿いに行ったところにあったが、今はマンションができて何も残っていない。
▼金比羅山砲台跡。野球場になっています。
公園化する際に山をごそり削ったので、元の地形とは大分変っています。当時の面影はなし。やはりこちらも「砲台山」と呼ばれていたそうです。
ご協力いただきました皆様、誠にありがとうございました。
「下関要塞2」に続きます。